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肉を食べない理由 2

2010.11.28(10:24)

・・・・・転載・・・・・


まさにそこなんですね。私の言わんとしているところは。
例えば生存自活などでは、古代の人と同じように食料を探して生き延びていく訓練だと言えるわけです。古代の人達も同じように生き延びるために必死で動物であれ穀物であれ、食べていたと言えるでしょう。

しかし、現代ではどうでしょうか。主に先進国ではフィットネスクラブがはやるぐらい飽食の時代を迎えています。つまり、古代の人達は食料選択の余地がなかったわけですが、現代人には食料選択の余地は有り余るほどあるわけです。

人間も動物も苦痛を感じる能力を持っています。しかも、双方とも苦痛を避けようとします。つまり、苦痛を善しとしません。食料にするために殺すことは多大な苦痛を与える事になります。だから、公平な立場=中立な立場から見れば、苦痛を善しとしないのであれば、苦痛を与えることは悪であり、同じような能力のある人間だけを特別扱いすること、つまり動物を差別することは誤りであると言えます。

これは、肉食、菜食、は関係なく中立の立場からの考えです。

何故、動物の為に肉をやめるかというと、最低限の理由として、肉を食べない事で、肉食産業への資金提供をしないということが上げられます。動物の利用も肉だけでなく皮、骨、エキス、乳など多岐に渡りますがそのうちの値段の張るものを欠くことで赤字にするためです。しかし、もっと高度な理由として、動物性食品を一切取らないという選択肢もあり得るわけです。このタイプをビーガンと呼んでいます。厳格な菜食主義のことです。
このタイプは難しいです。添加物など表示されていない場合があるからです。だから、皆さんが少しでも動物性の食品を採らない事で、需要が減り、生産調整されて殺される動物が減っていくということになります。

そこでよくある反論なのですが、菜食主義者は動物に関わるものを一切とるべきではないというものです。しかし、この反論は核心を突いているわけではなく、合理的ではありません。私はこれを完ぺき主義の自滅と読んでいます。それを無条件に求めていくと、例えば、地球温暖化に反対であれば、二酸化炭素を作り出す呼吸をするべきでないとなるわけで、地球温暖化に反対の人(恐らくほとんどの人)は死ななくてはならなくなるからです。

あとは肉食動物へ肉を食うなと言うことは死ねということですから、そのような動物にはそのような配慮が必要であると言うことになります。しかし、知性もあり、草食よりの雑食である人間は、この飽食の時代に(特に先進諸国では)、食料を選択できるわけです。苦痛のない社会がより良い社会であるとするならば、肉食以外を選択した方がより良い社会と言えるわけですから、人間のためにも、動物の為にも肉食以外を選択するべきだという「中立な立場から」の結論が導き出されるわけです。

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・・・・・転載・・・・・

私は日は浅いですが、今年の2月より、お肉は全く頂かなくなりました。
 それまでは、週に一回は焼肉やさんへ行っていたほど大好きでした。頂けなくなった理由はネットで屠殺のビデオを何種類も見たからです。動物たちの過酷な一生を知ろうともせず神様に感謝して頂くのだから良いだろうと思っていました。美味しく頂く事が成仏だと勝手に思っていました。お肉を食べている時は私自身大変幸福でしたから・・・。

 屠殺のビデオを見た時、想像をはるかに越える過酷な動物の短い一生に愕然としました。牛は生きたまま、逆さにされ喉を切られ、血を抜かれそれでも意識はあり、もがき苦しむのです。畜産動物に限らず、実験、毛皮、販売などにより動物たちを無益に殺している実情を多くの方に知って頂ければと願っています。
  だからといって私自身、運動するわけでもなしHPをたちあげるわけでもない、一番の卑怯者です。お気楽にも自分の都合の良い解釈をし何十年も現実を知ろうとしなかった愚かな自分を呪いました。全ての生き物を支配している人間に生まれた私に生きる目的を失いました。
  二ヶ月間は、毎夜泣いて過ごしました。でもある日、不思議と安堵感がありました。自と他を分けていた壁がとれたのだと思います。動物達や他の犠牲の上で成り立っている私達人間生活に深い深い感謝の念が湧き上がりました。 現実をあるがままに受け入れる事。そして私はそれに良い悪いの判断を下すのはやめようと思ったのです。

  様々な観点(動物愛護、健康、波動など)から肉食を断つ方がおり、気付きの時期も人それぞれ違うのでしょうが、私の選択は自分の中で大変良かったと思います。なぜなら、小さな自己の幸福ばかりを追求していると全体の幸福を見失うからです。
  賛否両論はあるでしょうが、生きとし生けるものが仲良く共存できる地球になる事を願ってやみません。  

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2010年08月28日 01:12
アメリカに住んでいる人が言っていました。アメリカでは「ベジタリアン・バーガー」が売っていたり、レストランでもベジタリアンメニューがあったりと身の回りにたくさんのベジタリアンライフを見ることがありベジタリアンに対する偏見もありませんが日本では、菜食している人に対して「変な宗教でも関わっているのか」と思う人が多いと聞きます。

肉食こそ宗教であると私は思います。
肉は、生きるためや健康のための必須食ではありません。むしろ健康の害になっています。 なのになぜわざわざ肉食をするのですか?

生まれたときから肉を当たり前に食べてきて、親もすすめていて、学校でも先生も肉を食べることが悪いなんて言ったことがない、そういう環境の中で育った私たちは肉食が罪であるとは、想像だにしません。だから、その絶対自信のある正義があるのでしょう。(自分では理解していなくても昔から続いている食なので悪い物ではないだろうと自動的に思っているのですか)


「まるで、子犬のときから人間に抱っこされて育てられた犬が人間になついてしまうのと同じで、生まれたときから、肉食が当たり前のように慣習としてあり、それが常識となってしまっているから、肉食に関する思考停止状態は仕方が無いのかなとも思います」ということです。

さらに、こうも言われています。
「が、なんでも「なぜ?」と考えることによって、理論的にどうなのかと言うことで、少しでも動物の立場が改善されたらよいと思っています。」

あなたは、なぜ肉を食べなければいけないのですか?


肉食する人はよくこう言います。
いただきますの本当の意味は、命をいただきます、という意味で死んでくれた動物が自分のために死んでくれて体を提供してくれているのでよくよく感謝して食べるのだ。
だから食事の時にはいただきますという言葉を言うのだと。

私に言わせれば、死体を食べるときはいただきますじゃなくて、「あなたは死にたくなかったのに、私の欲望のためにあたなた命を有無も言わさず奪って済みません。」が実情をよく現していると思います。

余談ですが、肉食のいいわけに感謝という言葉がよく使われますが、それは食べられる側の立場を全く考慮に入れていない考え方と言えましょう。

殺された動物の体を食べる時に残さず感謝して食べましょうというのは我れ善しの‘自分に向かう思い’でしかありません。利他ではなく、利己です。動物を食べるのなら感謝ではなく、謝罪してほしいものです。
感謝=諸手を挙げて良い事、良い念という’イメージ’をキーワードとして転がして、我欲をひと塗りで違うもの、よいものに錯覚させます。
 ’感謝’とは言っていますが、その実「言い訳」「免罪符」に過ぎません。

我欲をほしいままにして置いて、’感謝’してやるから許せ、目をつぶれ、見逃せ、免罪符を与えよと言っているに過ぎません。

死肉を貪りたい、そのために動物を殺す、そして感謝すれば何もなかったことに・・本当に勝手な理屈です。感謝を言い訳に使わないでいただきたい。


2010年08月28日 01:12
動物も虫も植物も自然も、極力殺さないよう破壊しないようにと思って僕はこんな生き方をするようになりました。


◆人間が食べる為に育てられる動物は、多くの食物(植物の命)と土地と水を必要とします。

一人の平均的な肉食をする人は、一年間に二頭~三頭の牛を食べています。
 1頭の牛は、一年に1エーカー(千二百二十四坪)の青草、トウモロコシ、または大豆を必要とします。

こうして一人の人が食べる肉の為に、一年に約3エーカー分の植物が必要となりますが、
 もし肉を食べないなら、人間は2分の1エーカー分の穀物ですみます。

一人の人が肉を食べるための動物を育てる穀物の量は、
 六人以上の人が一年間、十分に食べていく事が出来る量なのです。


◇アメリカ合衆国だけでも、家畜類は10億人以上の人を十分に養える穀物や大豆を食べています。

約450グラムの牛肉を得るのに、約7.2キログラムの穀物が必要なのです。

肉の消費をたった10%減らしただけで、人間が消費できる穀物が1200万トン増える事になります。

こうして得た穀物は、毎年飢えで死んでいく人々の全てを養えないにしても、
 そのほとんど、つまり六千万人の人を養う事が出来ます。
「本 もう肉も卵も牛乳もいらない」


ここには権力を持った自分と9人の栄養不足の人がいます。
ここに10本のトウモロコシか100グラムの牛肉が届く事になっています。
あなたは自分のために牛肉を届けろと言いますか? 自分を含めた10人のためにトウモロコシを選びますか?

何を言われてもどんな現実を見ても、肉食を改めようとしない人は、そう言う人なんじゃないでしょうか。

それと、自分で殺せない ナイフを入れられない動物を当たり前のように食べるのはどうしてなんでしょう?
かわいそうって感じる事をやめようと思う事って、そんなに難しい事なんでしょうか?


◆それぞれの家畜の生体重1kg増に必要な穀物飼料の重量
 牛・羊=7kg  家禽類(かきんるい/鳥類)=2kg  鶏卵=2.6kg
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